一麦福祉会の理念
日本の社会は、第二次世界大戦後の貧しさのなかから目覚ましい発展を遂げました。しかし、物質的豊かさを追い求め、それが現実となった時に、一人ひとりの人間としての価値は忘れられ、現代の社会の物質的発展にとって有用であるかどうかが、価値観の唯一の基礎になりました。
物質的繁栄を遂げた今の時代は、貧しかった時代よりも一見豊かになり、 “福祉” と呼ばれることにも国の予算が使われ、多くの人が関心を寄せ、福祉施設もかなり増えてきて、障害を持っている人もその恩恵を受けることが多くなりました。けれども、国の財政が逼迫してくるとまず削られるものの一つに福祉予算があることにも表れているように、”社会福祉”は、まだ多くの人の真の願いとなるまでに至っていません。
聖書は、人間一人ひとりの存在の背後には、より大いなるものの愛に根差した支えがあることを記しています。それ故、人間としての価値は、個人の能力には関係なく等しく、一人ひとりの人は、お互いに等しいものとして関係を結び、愛し合って生きていくことが求められています。
そこで私たちは、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければいつまでも一粒のままである。しかし、死ねば多くの実を結ぶ。自分の命を愛するものは、それを失うが、この世で自分の命を顧みない人は、それを保って永遠の命に至る。」と、聖書が述べているところに示されている精神に基づいて「一麦福祉会」を作りました。
「一麦福祉会」は、障害を持っている人たちが、その障害のために差別されることなく社会に参加し、平等な権利を持ち、共に義務を果たしていくことのできる社会の実現を目指して取り組んでいきます。障害を持っている人たちを締め出した社会よりは、障害を持っている人たちを正常な構成員の一人としている社会のほうが、人間が人間らしく生きていくことのできる社会なのではないでしようか。障害を持っている人に何かをしてあげるというのではなく、相互に学び合い、お互いの欠けを補いあって生きていく社会を築きたいと思います。
「一麦福祉会」は、このような取り組みの第一歩として、知恵おくれの人たちが、それぞれに与えられた能力を最もよく発揮し、それぞれの人間性を深め、生の内容を豊かにすることのできる生きた場をつくろうとしています。そして、そのような場を社会から遊離したところに作るのではなく、地域社会の中に溶け込んで作りたいと願っています。
1985年10月 制定
2003年03月 一部字句訂正